「 なんで 【半田】と書くの?」
こういう質問をよくされます。 先日ラジオでも いきなりアドリブで訊かれて
うろたえてしまいました・・。

半田付けは各国で
英語・米語では Soldering
フランス語   Soudage tendre
ドイツ語    Weichloten
オランダ語   Solderen
イタリア語   Saldatura dolce
スペイン語   Soldeo brando
と呼ばれています。
日本で なぜか半田(ハンダ)と呼ばれています。

さっそく調べてみました・・。


こちらのブログから 引用させていただきます。 この方 相当詳しく
調べておいでですので 私が付け足すことはございません。

————–以下引用です——————-

これから述べる、「はんだ語源説」は極めて独断的なものである。また軽い気持ちで書いており、大上段に振りかぶったものではない。従って、この説が私の予想に反し全く的外れであっても、目くじらを立てず愚か者の戯言と軽く笑い飛ばしていただきたい。

調べたところ、地名の由来には錫の産地として知られるマレーシアのバンダ島(盤陀島)に由来するという説や日本の福島県北部にあった半田銀山に由来するという説がある。
 地名や人名以外の由来にはハンド(手)が転じたとするような説もあるがどの資料も説明の後は常に「ただし確証はない」で結ばれており、要するに誰もはっきりとは分からないようである。

中国語で「金早(金編+早、以下同)」という字がある。ハンと読む。「はんだ付け」「はんだ付けする」という意味である。 中国語で「的」という字がある。ダと読みこれが名詞や形容詞につけて使われると所属や性質を表す。例えば「我的」は「自分の(もの)」、「日本的」は「日本の(もの)」、「新的」は「新しい(もの)」、「美麗的小姐」は「美しい女性」といった具合だ、だから「金早的(ハンダ)」となれば「はんだ付けした(もの)」となる。

中国語の話。
で、遣隋使の時代にハンダの技術を目撃したのではないかという仮説。このころ既に大陸にはこの技があった模様。日本でも奈良の大仏などに使われているようで。
 当時日本から中国を訪れた日本人はそれまで見たことのない多くの見知らぬものに出会いきっと驚いたに違いない。はんだ付けしたものもその中の一つであっただろう。そして驚きながら聞いたのだ。「これはなんだ。どうして金属どうしがこのようにくっついているのだ」。聞かれた中国人はきっとこう答えたに違いない「這是金早的(ジェーシーハンダ・これははんだ付けしたものである)」。その時初めて日本人は錫と鉛の合金を溶かして金属用接着剤として使うことやその物を「金早的(ハンダ)」と覚え、物や技術と共にハンダという言葉を持ち帰ったのである。
はんだはいつ頃から使われだしたのだろうか。徳川綱吉の時代に書かれた貝原益軒の万宝鄙事記(1705年)では、銅容器の漏れを塞ぐに表面を松ヤニでこすり、錫鉛棒を傷口を塞ぐ程度の大きさに切り、傷口にのせて裏面から炭火で加熱し、錫鉛片を溶かすとあるので、この時にははんだの言葉はない。 これが幕末の慶応二年(1866)になると、江戸守田座で初演された河竹黙阿弥の歌舞伎狂言「船打込橋間白波」の脚本に、鋳掛の松と呼ばれる溶接工の「鉛や盤陀の売物なら要らないよ・・」と云う台詞がある。字は違うがこれがはんだの原型かと思われる言葉が出てくる。 このはんだの語源を二三の大辞典でみると、福島県半田鉱山かマレー諸島のBANDA島だとしている。しかし、前者は明治末の山崩れによる閉山まで1000年ほど続いた官営銀山で、鉛はともかく錫産出の記録はない。それに盤陀が半田となったのが、明治近くからだとすると、単に名前が似ていただけとも思える。 後者のBANDA島が錫鉱山ではと探したがその島はなく BANDA海のみである。世界的に鉛の産出地は多いが錫鉱山はごく限られ、インドネシア付近では三島のみとあり、いずれもJAVA海内である。BANDA 海とは相当離れているので、こちらの説も信憑性は薄すそうである。 ろう付技術が中国経由で導入されているので、軟質ろう材を意味する??(ハンラ)の発音が少し変形したのではと思っているが、これも古くは鎔鑞(ロンラ)だったとされているので、この話も少々怪しい。 あれこれ考えると、俗説で云う錫と鉛の混合比がほぼ「半々だ」を、なまって半田になったとするが、一番本当らしい語源のように思える。

——————ここまで引用————————-

などと 諸説あり 残念ながら これだ!という説はありません
参考になりましたら 幸いです